場《ていしゃじょう》の新聞売場にも並べられている小新聞を見ると、拙劣鄙褻《せつれつひせつ》な挿絵とその表題とが、読者の目を牽《ひ》くだけで買って読んで見ると案外つまらない事ばかりである。わたくしは時代の流行として、そういう時代にはそうした物が流行したという事を記憶して置きたいと思っている。そのためには『実話新聞』だの何だのという印刷物も一通りは風俗資料として保存して置きたいと心掛けている。
戦争前、カフェー汁粉屋その他の飲食店で、広告がわりに各店で各意匠を凝《こら》したマッチを配布したことがある。これを取り集めて丁寧に画帖に貼り込んだものを見たことがあった。当時の世の中を回顧するにはよい材料である。戦後文学また娯楽雑誌が挿絵といえば女の裸体でなければならないように一様に歩調を揃えているのも、後の世になったらむしろ滑稽に思われるであろう。
舞台で女の裸体を見せるようになった事をわたくしが初めて人から聞伝えたのは、一昨年(昭和廿二年)の秋頃、利根川|汎濫《はんらん》の噂のあった頃である。新宿の帝都座で、モデルの女を雇い大きな額ぶちの後に立ったり臥《ふせ》たりさせ、予《あらかじ》め別の女
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