フマヂソン広小路に石柱の如く聳立《そばだ》つ二十余階の建物をば夢の楼閣と見て過ぎ、やがて行手にユニオン広小路とも覚しき樹の繁り、その間を漏るゝ燈火を望み候。近《ちかづ》けば木蔭の噴水より水の滴る響《ひゞき》、静《しづけ》き夜に恰も人の啜《すゝ》り泣くが如くなるを聞き付け、其のほとりのベンチに腰掛け、水の面に燈影の動き砕くるさまを見入りて、独り湧出る空想に耽り候。
 余《よ》は何者か、余《われ》に近く歩《あゆ》み寄る跫音《あしおと》、続いて何事か囁く声を聞き侯ふが、少時《しばらく》にして再び歩み出《いだ》せば、……あゝ何処《いづこ》にて捕へられしや。余《よ》はかの夜《よる》の悪女と相並びて、手を引《ひか》るゝまゝに、見も如らぬ裏街を歩み居り候。
 見廻せば、両側に立続く長屋は塵《ちり》に汚《まみ》れし赤煉瓦の色黒くなりて、扉傾きし窓々には灯《ひ》も見えず、低き石段を前にしたる戸口の中《うち》は、闇立ち迷ひて、其の縁下《ペーズメント》よりは悪臭を帯びたる湿気流れ出でて人の鼻を撲《う》つ。女は突然|立止《たちとゞ》まりて、近くの街燈をたよりに、少時《しばし》余が風采《みなり》を打眺め候ふが、
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