負ホ、更けたる夜《よ》を心得顔に赤々と輝くを望み見れば、浮世の限りの楽《たのし》みは此処にのみ宿ると云はぬばかり。入りつ出でつ揺《ゆらめ》く男女の影は放蕩の花園に戯《たはむ》れ舞ふ蝶に似て、折々流れ来《きた》る其等の人の笑ふ声語る声は、云難《いひがた》き甘味《かんみ》を含む誘惑の音楽に候はずや。
恐しき「定め」の時にて候。この時この瞬間、宛《さなが》ら風の如き裾の音高く、化粧の香《か》を夜気《やき》に放ち、忽如《こつじよ》として街頭の火影《ほかげ》に立現《たちあらは》るゝ女は、これ夜《よる》の魂、罪過と醜悪との化身《けしん》に候。少女マルグリツトの家の戸口に悪魔《メフイスト》が呼出《よびいだ》す魔界の天使に御座候。彼女等は夜《よる》に彷徨《さまよ》ふ若き男の過去未来を通じて、その運命、その感想の凡《すべ》てを洞察し尽せる神女に候。
されば男は此処にその呼び止《とむ》る声を聞きその寄添《よりそ》ふ姿を見る時は、過ぎし昔の前兆を今又目前に見る心地して、その宿命に満足し、犠牲に甘んじて、冷き汚辱《をじよく》の手を握り申侯。
余は劇場を出でゝより更け渡りたるブロードウヱーを歩み/\て、か
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