今は鼻唄の代りに唱歌唄ふ田舎《いなか》の女多くなりて唯わけもなく勤めすますを第一と心得※[#「候」のくずし字、162−5]故遊びが楽になりて深く迷込む恐れもなく誠に無事なる世となり申※[#「候」のくずし字、162−6]。
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後藤宙外子《ごとうちゅうがいし》が作中たしか『松葉かんざし』と題せし一篇あり。浅草の風俗を描破する事なほ一葉《いちよう》女史が『濁江《にごりえ》』の本郷丸山《ほんごうまるやま》におけるが如きものとおぼえたり。天外子が『楊弓場《ようきゅうば》の一時間』は好箇の写生文なり。『今戸心中《いまどしんじゅう》』と『浅瀬の波』に明治時代の二遊里を写せし柳浪《りゅうろう》先生のかつて一度《ひとたび》も筆をこの地につけたる事なきはむしろ奇なりといふべくや。『湯島詣《ゆしまもうで》』の著者また浅草を描きたることなきが如し。
巷《ちまた》に秋立ちそめて水菓子屋の店先に葡萄《ぶどう》の総《ふさ》凉しき火影《ほかげ》に照さるるを見る時、わが身にはいつも可笑《おか》しき思出の浮び来《きた》るなり。およそ看る物同じといへども看る人の心|異《ことな》ればその趣もまた同
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