「大窪多与里《おおくぼたより》」と題せし文中いささか浅草のことを記せり。その一節に曰《いわ》く、
[#ここから2字下げ]
楊弓場《ようきゅうば》の軒先に御神燈出すこといまだ御法度《ごはっと》ならざりし頃には家名《いえな》小さく書きたる店口の障子《しょうじ》に時雨《しぐれ》の夕《ゆうべ》なぞ榎《えのき》の落葉《おちば》する風情《ふぜい》捨てがたきものにて※[#「候」のくずし字、161−10]《そうら》ひき。その頃この辺の矢場の奥座敷に昼遊びせし時|肱掛窓《ひじかけまど》の側《そば》に置きたる盃洗《はいせん》の水にいかなるはづみにや屋根を蔽ふ老樹の梢を越して、夕日に染みたる空の色の映りたるを、いと不思議に打眺め※[#「候」のくずし字、162−1]事今だに記憶致をり※[#「候」のくずし字、162−2]。その頃まではこの辺の風俗も若きは天神髷《てんじんまげ》三《み》ツ輪《わ》またつぶしに結綿《ゆいわた》なぞかけ年増《としま》はおさふねお盥《たらい》なぞにゆふもあり、絆纏《はんてん》のほか羽織《はおり》なぞは着ず伝法《でんぽう》なる好みにて中には半元服《はんげんぷく》の凄き手取りもありと聞きしが
前へ
次へ
全7ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング