人のようになっていたが、しかし談話はなお平生《へいぜい》と変りがなかったので、夏の夕陽《ゆうひ》の枕元にさし込んで来る頃まで倶《とも》に旧事を談じ合った。内子《ないし》はわれわれの談話の奇怪に渉《わた》るのを知ってか後堂にかくれて姿を見せない。庭に飼ってある鶏が一羽|縁先《えんさき》から病室へ上って来て菓子鉢の中の菓子を啄《ついば》みかけたが、二人はそんな事にはかまわず話をつづけた。
 わたしが昼間は外国語学校で支那語を学び、夜はないしょで寄席へ通う頃、唖々子は第一高等学校の第一部第二年生で、既に初の一カ年を校内の寄宿舎に送った後、飯田町《いいだまち》三丁目|黐《もち》の木|坂《ざか》下《した》向側の先考|如苞翁《じょほうおう》の家から毎日のように一番町なるわたしの家へ遊びに来た。ある晩、寄席が休みであったことから考えると、月の晦日《みそか》であったに相違ない。わたしは夕飯をすましてから唖々子を訪《と》おうと九段《くだん》の坂を燈明台《とうみょうだい》の下あたりまで降りて行くと、下から大きなものを背負って息を切らして上って来る一人の男がある。電車の通らない頃の九段坂は今よりも嶮《けわ》
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