岸も、月を見ながら歩けるほど静であつたが、今は自動車と酔漢とを避《よ》けるわづらはしさに堪へられない。築地川は劇場の灯火が月を見るには明るすぎる。鬨《かちどき》のわたし場《ば》は近年架橋の工事中で、近寄ることもできない。明石町の真中を流れてゐた堀割は、その両岸に茂つた柳の並木と、沿岸の家の樹木とに、居留地のむかしを思出させた処であつたが、今は埋立てられて、乗合自動車の往復する広い道路となつた。
こんな有様なので、わたくしが月を見ながら歩く道順は、佃のわたし場から湊町の河岸に沿ひ、やがて稲荷橋から其向ひの南高橋をわたり、越前堀の物揚場《ものあげば》に出る。
稲荷橋は八丁堀の流が海に入るところ。鉄砲洲稲荷の傍《かたはら》にかゝつてゐるので、その名を得たのであらう。この河口《かはぐち》は江戸時代から大きな船の碇泊した港で、今日でも東京湾汽船会社の桟橋と、船客の待合所とが設けられ、大嶋行の汽船がこの河筋ではあたりを圧倒するほど偉大な船体と檣と烟突とを空中に聳《そびや》かしてゐる。道路は汽船の発着する間際を除けば、夜などは人通りがないくらゐで、立ちつゞく倉庫のあひだに、わびし気な宿屋が薄暗い
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