けてゐるのに気のつくものはないらしい。
 服部時計店の店硝子《みせがらす》を後《うしろ》に、その欄干《てすり》に倚りかゝつて、往徠《ゆきき》の人を見てゐる男や女は幾人もあるが、それは友達か何かを待ち合してゐるものらしく、明月の次第に高く昇るのを見てゐるのではない。車留《くるまどめ》の信号の色が替るのを待ち兼ねて、通行の車と人とは、前後に列を乱して休みもなく走り動いてゐる。
 わたくしがたま/\静に月を観やうといふやうな――それも成るべく河の水の流れてゐるあたりへ行つて眺めやうと云ふ心持になるのは、大抵尾張町の空に、月の昇りかけてゐるのを見る夕方である。
 東京の気候は十二月に入《はい》ると、風のない晴天がつゞいて、寒気も却て初冬のころよりも凌ぎよくなる。日は一日ごとに短くなり、町の灯火は四時ごろになると、早くも立迷ふ夕靄の底からきらめき初める。
 わたくしはいつも此時間に散歩を兼ねて、日常の必要品を購ひに銀座へ出る。それ故明月を観るため、築地から越前堀あたりまで歩くのも年の中《うち》で冬至の前後が最も多いことになるのである。
 むかしは銀座通の東裏《ひがしうら》を流れてゐる三十間堀の河
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