のものから一種の尊敬を以て見られていた江戸時代からの古い伝統が、昭和十三、四年のその日までまだ滅びずに残っていた事を確めた。意外の発見である。殆ど思議すべからざる事実に逢着し得たのである。しかしこの伝統もまた三月九日の夜を名残りとして今は全く湮滅《いんめつ》してしまったのであろう。
○
この夜吉原の深夜に見聞した事の中には、今なお忘れ得ぬものが少くなかった。
すみれという店は土間を間にしてその左右に畳が敷いてあるので、坐れもすれば腰をかけたままでも飲み食いができるようにしてあった。栄子たちが志留粉《しるこ》だの雑煮《ぞうに》だの饂飩《うどん》なんどを幾杯となくお代りをしている間に、たしか暖簾《のれん》の下げてあった入口から這入《はい》って来て、腰をかけて酒肴《さけさかな》をいいつけた一人の客があった。大柄の男で年は五十余りとも見える。頭を綺麗に剃《そ》り小紋《こもん》の羽織に小紋の小袖《こそで》の裾《すそ》を端折《はしお》り、紺地羽二重《こんじはぶたえ》の股引《ももひき》、白足袋《しろたび》に雪駄《せった》をはき、襟《えり》の合せ目をゆるやかに、ふくらました懐《
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