ふところ》から大きな紙入《かみいれ》の端を見せた着物の着こなし、現代にはもう何処へ行っても容易には見られない風采である。歌舞伎芝居の楽屋などにも、こういう着物の着こなしをするものは、明治の時代の末あたりから既に見られなくなっていた。わたくしは仲の町の芸人にはあまり知合いがないが、察するところ、この土地にはその名を知られた師匠株の幇間《ほうかん》であろうと思った。
 この男は見て見ぬように踊子たちの姿と、物食う様子とを、楽し気に見やりながら静かに手酌《てじゃく》の盃《さかずき》を傾けていた。踊子の洋装と化粧の仕方を見ても、更に嫌悪を催す様子もなく、かえって老年のわたくしがいつも感じているような興味を、同じように感じているものらしく、それとなくわたくしと顔を見合せるたびたび、微笑を漏したいのを互に強いて耐《こら》えるような風にも見られるのであった。思うにこの老幇間もわたくしと同じく、時世と風俗との変遷に対して、都会の人の誰もが抱いているような好奇心と哀愁とを、その胸中に秘していたのだろう。
 暖簾外の女郎屋は表口の燈火を消しているので、妓夫《ぎゆう》の声も女の声も、歩み過る客の足音と共に途
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