、わたくしは何か口ざむしい気がして、夜半過ぎまで起きている食物屋を栄子にきいた事があった。栄子は近所に住んでいる踊子仲間の二、三人をもさそってくれて、わたくしを吉原の角町《すみちょう》、稲本屋の向側の路地にある「すみれ」という茶漬飯屋まで案内してくれたことがあった。水道尻の方から寝静った廓《くるわ》へ入ったので、角町へ曲るまでに仲《なか》の町《ちょう》を歩みすぎた時、引手茶屋《ひきてぢゃや》のくぐり戸から出て来た二人の芸者とすれちがいになった。芸者の一人と踊子の栄子とは互に顔を見て軽く目で会釈《えしゃく》をしたなり行きすぎた。その様子が双方とも何となく気まりが悪いというように、また話がしたいが何か遠慮することがあるとでもいうように見受けられた。角町の角をまがりかけた時、芸者の事をきくと、栄子は富士前小学校の同級生で、引手茶屋何々|家《や》の娘だと答えたが、その言葉の中に栄子は芸者を芸者|衆《しゅ》といい、踊子の自分よりも芸者衆の方が一だん女としての地位が上であるような言方をした。これに依って、わたくしは栄子が遊廓に接近した陋巷《ろうこう》に生れ育った事を知り、また廓内の女たちがその周囲
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