つも鼻緒《はなお》のゆるんでいないらしいのを突掛《つっか》けたのは、江戸ッ子特有の嗜《たしな》みであろう。仲間の職人より先に一人すたすたと千束町《せんぞくまち》の住家へ帰って行く。その様子合《ようすあい》から酒も飲まなかったらしい。
 この爺さんには娘が二人いた。妹の方は家《うち》で母親と共にお好み焼を商《あきな》い、姉の方はその頃年はもう二十二、三。芸名を栄子といって、毎日父の飾りつける道具の前で、幾年間|大勢《おおぜい》と一緒に揃って踊っていた踊子の中の一人であった。
 わたくしが栄子と心易《こころやす》くなったのは、昭和十三年の夏、作曲家S氏と共に、この劇場の演芸にたずさわった時からであった。初日の幕のあこうとする刻限、楽屋に行くと、その日は三社権現《さんじゃごんげん》御祭礼の当日だったそうで、栄子はわたくしが二階の踊子部屋へ入るのを待ち、風呂敷に包んで持って来た強飯《こわめし》を竹の皮のまま、わたくしの前にひろげて、家《うち》のおっかさんが先生に上げてくれッていいましたとの事であった。
 舞台の稽古が前の夜に済んで、初日にはわたくしの来ることが前々から知れていたからでもあろう。
前へ 次へ
全15ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング