リガタリと妙に気力の抜けた陰気な音を響かす。その度々に寒さはぞくぞく襟元《えりもと》へ浸《し》み入る。勝手の方では、いっも居眠りしている下女が、またしても皿小鉢を破《こわ》したらしい物音がする。炭団《たどん》はどうやらもう灰になってしまったらしい。先生はこういう時、つくづくこれが先祖代々日本人の送り過越《すご》して来た日本の家の冬の心持だと感ずるのである。宝井其角《たからいきかく》の家にもこれと同じような冬の日が幾度《いくたび》となく来たのであろう。喜多川歌麿《きたがわうたまろ》の絵筆持つ指先もかかる寒さのために凍《こお》ったのであろう。馬琴《ばきん》北斎《ほくさい》もこの置炬燵の火の消えかかった果敢《はか》なさを知っていたであろう。京伝《きょうでん》一九《いっく》春水《しゅんすい》種彦《たねひこ》を始めとして、魯文《ろぶん》黙阿弥《もくあみ》に至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。しかして彼らはこの寒さと薄暗さにも恨むことなく反抗することなく、手錠をはめられ板木《はんぎ》を取壊《とりこわ》すお上《かみ》の御成敗《
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