るじ》が石菖《せきしょう》や金魚の水鉢を縁側に置いて楽しむのも大抵はこの手水鉢の近くである。宿の妻が虫籠や風鈴《ふうりん》を吊《つる》すのもやはり便所の戸口近くである。草双紙の表紙や見返しの意匠なぞには、便所の戸と掛手拭《かけてぬぐい》と手水鉢とが、如何に多く使用されているか分らない。かくの如く都会における家庭の幽雅なる方面、町中《まちなか》の住いの詩的情趣を、専《もっぱ》ら便所とその周囲の情景に仰いだのは実際日本ばかりであろう。西洋の家庭には何処に便所があるか決して分らぬようにしてある。習慣と道徳とを無視する如何に狂激なる仏蘭西《フランス》の画家といえども、まだ便所の詩趣を主題にしたものはないようである。そこへ行くと、江戸の浮世絵師は便所と女とを配合して、巧みなる冒険に成功しているのではないか。細帯しどけなき寝衣姿《ねまきすがた》の女が、懐紙《かいし》を口に銜《くわえ》て、例の艶《なまめ》かしい立膝《たてひざ》ながらに手水鉢の柄杓から水を汲んで手先を洗っていると、その傍《そば》に置いた寝屋《ねや》の雪洞《ぼんぼり》の光は、この流派の常《つね》として極端に陰影の度を誇張した区劃の中に夜
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