いわなければならない。この特徴を形造った大天才は、やはり凡《すべ》ての日本的固有の文明を創造した蟄居《ちっきょ》の「江戸人《えどじん》」である事は今更|茲《ここ》に論ずるまでもない。もし以上の如き珍々先生の所論に対して不同意な人があるならば、請《こ》う試みに、旧習に従った極めて平凡なる日本人の住家《じゅうか》について、先ずその便所なるものが縁側《えんがわ》と座敷の障子、庭などと相俟《あいま》って、如何なる審美的価値を有しているかを観察せよ。母家《おもや》から別れたその小さな低い鱗葺《こけらぶき》の屋根といい、竹格子の窓といい、入口《いりくち》の杉戸といい、殊に手を洗う縁先の水鉢《みずばち》、柄杓《ひしゃく》、その傍《そば》には極って葉蘭《はらん》や石蕗《つわぶき》などを下草《したくさ》にして、南天や紅梅の如き庭木が目隠しの柴垣を後《うしろ》にして立っている有様、春の朝《あした》には鶯がこの手水鉢《ちょうずばち》の水を飲みに柄杓の柄《え》にとまる。夏の夕《ゆうべ》には縁の下から大《おおき》な蟇《ひきがえる》が湿った青苔《あおごけ》の上にその腹を引摺《ひきず》りながら歩き出る。家の主人《あ
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