生と背戻《はいれい》するに及んで真の味《あじわい》を生ずるのだ。けれども其処まで進もうというには、妻あり子あり金あり位ある普通人には到底薄気味わるくて出来るものではない。そこで自然《おのず》と、物には専門家《くろうと》と素人《しろうと》の差別が生ずるのだと、珍々先生は自己の廃頽趣味に絶対の芸術的価値と威信とを附与して、聊《いささ》か得意の感をなし、荒《すさ》みきった生涯の、せめてもの慰藉《なぐさめ》にしようと試みるのであったが、しかし何となくその身の行末|空恐《そらおそろ》しく、ああ人間もこうなってはもうおしまいだ。滋養に富んだ牛肉とお行儀のいい鯛の塩焼を美味のかぎりと思っている健全な朴訥《ぼくとつ》な無邪気な人たちは幸福だ。自分も最《も》う一度そういう程度まで立戻る事が出来たとしたら、どんなに万々歳なお目出度《めでた》かりける次第であろう……。惆悵《ちゅうちょう》として盃《さかずき》を傾くる事|二度《ふたた》び三度《みた》び。唯《と》見《み》ればお妾は新しい手拭をば撫付《なでつ》けたばかりの髪の上にかけ、下女まかせにはして置けない白魚《しらうお》か何かの料理を拵《こしら》えるため台所
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