であった。つまり正当なる社会の偽善を憎む精神の変調が、幾多の無理な訓練修養の結果によって、かかる不正暗黒の方面に一条の血路を開いて、茲《ここ》に僅なる満足を得ようとしたものと見て差支《さしつかえ》ない。あるいはまたあまりに枯淡なる典型に陥《おちい》り過ぎてかえって真情の潤《うるお》いに乏しくなった古来の道徳に対する反感から、わざと悪徳不正を迎えて一時の快哉《かいさい》を呼ぶものとも見られる。要するに厭世的なるかかる詭弁的《きべんてき》精神の傾向は破壊的なるロマンチズムの主張から生じた一種の病弊である事は、彼自身もよく承知しているのである。承知していながら、決して改悛《かいしゅん》する必要がないと思うほど、この病弊を芸術的に崇拝しているのである。されば賤業婦の美を論ずるには、極端に流れたる近世の芸術観を以てするより外はない。理性にも同情にも訴うるのでなく、唯《ただ》過敏なる感覚をのみ基礎として近世の極端なる芸術を鑑賞し得ない人は、彼からいえば到底縁なき衆生《しゅじょう》であるのだ。女の嫌いな人に強《しい》て女の美を説き教える必要はない。酒に害あるはいわずと知れた話である。然《しか》もその
前へ
次へ
全44ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング