すに時間を惜しまず、男を相手に卑陋《びろう》な冗談をいって夜ふかしをするのが好きであるが、その割には世帯持《しょたいもち》がよく、借金のいい訳がなかなか巧《うま》い。年は二十五、六、この社会の女にしか見られないその浅黒い顔の色の、妙に滑《すべ》っこく磨き込まれている様子は、丁度多くの人手にかかって丁寧に拭き込まれた桐の手あぶりの光沢《つや》に等しく、いつも重そうな瞼《まぶた》の下に、夢を見ているようなその眼色《めいろ》には、照りもせず曇りも果てぬ晩春の空のいい知れぬ沈滞の味が宿っている――とでもいいたい位に先生は思っているのである。実際今の世の中に、この珍々先生ほど芸者の好きな人、賤業婦の病的美に対して賞讃の声を惜しまない人は恐らくあるまい。彼は何故《なにゆえ》に賤業婦を愛するかという理由を自《みずか》ら解釈して、道徳的及び芸術的の二条に分った。道徳的にはかつて『見果《みは》てぬ夢』という短篇小説中にも書いた通り、特種の時代とその制度の下《もと》に発生した花柳界全体は、最初から明白《あからさま》に虚偽を標榜しているだけに、その中《うち》にはかえって虚偽ならざるもののある事を嬉しく思うの
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