フィルドの牧師』。それからサー・ロジャス・デカバリイ。巴里屋根裏の学者の英訳本などである。中村敬宇《なかむらけいう》先生が漢文に訳せられた『西国立志編《さいごくりっしへん》』の原書もたしか読んだように思っている。
中学を出て、高等学校の入学試験を受ける準備にと、わたくしたちは神田錦町《かんだにしきちょう》の英語学校へ通った時、始めてヂッケンスの小説をよんだ。
話は前へもどって、わたくしは七月の初東京の家に帰ったが、間もなく学校は例年の通り暑中休暇になるので、家の人たちと共に逗子《ずし》の別荘に往《ゆ》き九月になって始めて学校へ出た。しかしこれまで幾年間同じ級にいた友達とは一緒になれず、一つ下の級の生徒になったので、以前のように学業に興味を持つことが出来ない。休課の時間にもわたくしは一人運動場の片隅で丁度その頃覚え初めた漢詩や俳句を考えてばかりいるようになった。
根岸派の新俳句が流行し始めたのは丁度その時分の事で、わたくしは『日本』新聞に連載せられた子規《しき》の『俳諧大要』の切抜を帳面に張り込み、幾度《いくたび》となくこれを読み返して俳句を学んだ。
漢詩の作法は最初父に就《つ》
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