いものが見え、その岸に沿うた畦道《あぜみち》に、夫婦らしい男と女とが糸車を廻して綱をよっている。その響が虻《あぶ》のうなるように際立って耳につくばかり、あたりは寂《しん》として枯蘆のそよぐ音も聞えないのは、日も漸く傾いて、ひとしきり風の鎮る時刻になったせいであろう。赤塗の自転車に乗った電報配達人が綱を綟《よ》っている男女の姿を見て、道をきいていたが、分らないらしい様子で、それなり元きた彼方《かなた》へと走って行った。
空はいつの間にか暮れはじめた。わたくしが電報配達人の行衛《ゆくえ》を見送るかなたに、初て荒川放水路の堤防らしい土手を望んだ時には、その辺の養魚池に臨んだ番小屋のような小家の窓には灯影《ほかげ》がさして、池の面《おも》は黄昏《たそが》れる空の光を受けて、きらきらと眩《まばゆ》く輝き、枯蘆と霜枯れの草は、かえって明くなったように思われた。ふと枯蘆の中に枯れた松の大木が二、三本立っているのが目についた。近寄って見ると、松の枯木は広い池の中に立っていて、その木陰には半ば朽廃した神社と、灌木に蔽われた築山《つきやま》がある。庭は随分ひろいようで、まだ枯れずにいる松の木立《こだち》
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