になっているあたりを歩いたのかも知れない。砂村は今砂町と改称せられているが、むかしの事を思えば「砂村町」とでも言って置けばよかったのである。
わたくしは歩いている小道の名を知ろうと思って、物売る家の看板を見ながら行くと、長屋建の小家のつづく間には、ところどころ柱の太い茅葺《かやぶき》屋根の農家であったらしいものが残っているので、むかしは稲や蓮の葉の波を打っていた処である事を知った。農家らしい古家《ふるいえ》では今でも生垣《いけがき》をめぐらした平地に、小松菜《こまつな》や葱《ねぎ》をつくっている。また方形の広い池を穿《うが》っているのは養魚を業としているものであろう。
突然、行手にこんもりした樹木と神社の屋根が見えた。その日|深川《ふかがわ》の町からここに至るまで、散歩の途上に、やや年を経た樹木を目にしたのはこれが始めてである。道は辻をなし、南北に走る電車線路の柱に、「稲荷前」と書いてその下にベンチが二脚置いてある。また東の方へ曲る角に巡査派出所があって、「砂町海水浴場近道南砂町青年団」というペンキ塗の榜示杭《ぼうじぐい》が立っていた。
わたくしが偶然|枯蘆《かれあし》の間に立っ
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