りの光景を名づけて何というべきものかと考えた。かつて何もなかった処であるから、荒廃でもなく破壊でもない。放棄せられたまま顧みられない風景とでもいうのであろう……。
 セメントの新道路は鉄道線路の向へ行っても、まだ行先が知れない。初めわたくしはほどなく荒川《あらかわ》放水路の土手に達するつもりであったので、少し疲労を覚えると共に、俄《にわか》に方角が知りたくなった。丁度道の片側に汚い長屋建の小家のつづきはじめたのを見て、その方の小路《こうじ》へ曲ると、忽ち電車の線路に行当った。通りがかりの人に道を尋ねると、左へ行けばやがて境川《さかいがわ》、右へ行けば直ぐに稲荷前《いなりまえ》の停留場へ出るのだというのである。
 わたくしはこの辺の地理には明《あかる》くない。三十幾年のむかし、洲崎の遊里に留連《りゅうれん》したころ、大門前《おおもんまえ》から堀割に沿うて東の方《かた》へ行くとすぐに砂村の海辺《うみべ》に出るのだという事を聞いて、漫歩したことがあったが、今日記憶に残っているのは、蒹葭《けんか》の唯果も知らず生茂った間から白帆と鴎の飛ぶのを見た景色ばかりである。思うに、今日東陽公園先の運動場
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