になっているあたりを歩いたのかも知れない。砂村は今砂町と改称せられているが、むかしの事を思えば「砂村町」とでも言って置けばよかったのである。
 わたくしは歩いている小道の名を知ろうと思って、物売る家の看板を見ながら行くと、長屋建の小家のつづく間には、ところどころ柱の太い茅葺《かやぶき》屋根の農家であったらしいものが残っているので、むかしは稲や蓮の葉の波を打っていた処である事を知った。農家らしい古家《ふるいえ》では今でも生垣《いけがき》をめぐらした平地に、小松菜《こまつな》や葱《ねぎ》をつくっている。また方形の広い池を穿《うが》っているのは養魚を業としているものであろう。
 突然、行手にこんもりした樹木と神社の屋根が見えた。その日|深川《ふかがわ》の町からここに至るまで、散歩の途上に、やや年を経た樹木を目にしたのはこれが始めてである。道は辻をなし、南北に走る電車線路の柱に、「稲荷前」と書いてその下にベンチが二脚置いてある。また東の方へ曲る角に巡査派出所があって、「砂町海水浴場近道南砂町青年団」というペンキ塗の榜示杭《ぼうじぐい》が立っていた。
 わたくしが偶然|枯蘆《かれあし》の間に立っている元八幡宮の古祠に行当ったのは、砂町海水浴場の榜示杭を見ると共に、何心なく一本道をその方へと歩いて行ったためであった。この一本道は近年つくられたものらしく、敷きつめられた砂利がまだ踏みならされていない処もある。右側は目のとどくかぎり平《たいら》かな砂地で、その端《はず》れは堤防に限られている。左手はとびとびに人家のつづいている中に、不動院という門構の寺や、医者の家、土蔵《どぞう》づくりの雑貨店なども交っているが、その間の路地を覗くと、見るも哀れな裏長屋が、向きも方角もなく入り乱れてぼろぼろの亜鉛屋根《トタンやね》を並べている。普請中《ふしんちゅう》の貸家《かしや》も見える。道の上には長屋の子供が五、六人ずつ群をなして遊んでいる。空車《からぐるま》を曳いた馬がいかにも疲れたらしく、鬣《たてがみ》を垂れ、馬方《うまかた》の背に額を押しつけながら歩いて行く。職人らしい男が二、三輛ずつ自転車をつらね高声に話しながら走り過る……。
 道は忽ち静になって人通りは絶え、霜枯れの雑草と枯蘆とに蔽《おお》われた空地《あきち》の中に進入って、更に縦横に分れている。ところどころに泥水のたまった養魚池らし
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