ムき走っている。どの家にも必ず付いている物干台《ものほしだい》が、小《ちいさ》な菓子折でも並べたように見え、干してある赤い布《きれ》や並べた鉢物の緑《みど》りが、光線の軟《やわらか》な薄曇の昼過ぎなどには、汚れた屋根と壁との間に驚くほど鮮かな色彩を輝かす。物干台から家《うち》の中に這入《はい》るべき窓の障子《しょうじ》が開《あ》いている折には、自分は自由に二階の座敷では人が何をしているかを見透《みすか》す。女が肩肌抜《かたはだぬ》ぎで化粧をしている様やら、狭い勝手口の溝板《どぶいた》の上で行水《ぎょうずい》を使っているさままでを、すっかり見下してしまう事がある。尤《もっと》も日本の女が外から見える処で行水をつかうのは、『|阿菊さん《マダムクリザンテエム》』の著者を驚喜せしめた大事件であるが、これはわざわざ天下堂の屋根裏に登らずとも、自分は山の手の垣根道で度々|出遇《であ》ってびっくりしているのである。この事を進めていえば、これまで種々なる方面の人から論じ出された日本の家屋と国民性の問題を繰返すに過ぎまい。
 われわれの生活は遠からず西洋のように、殊に亜米利加《アメリカ》の都会のように変
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