サするものたる事は誰《た》が眼にも直ちに想像される事である。然らばこの問題を逆にして試《こころみ》に東京の外観が遠からずして全く改革された暁《あかつき》には、如何なる方面、如何なる隠れた処に、旧日本の旧態が残されるかを想像して見るのも、皮肉な観察者には興味のないことではあるまい。実例は帝国劇場の建築だけが純西洋風に出来上りながら、いつの間にかその大理石の柱のかげには旧芝居の名《なご》残りなる簪屋《かんざしや》だの飲食店などが発生繁殖して、遂に厳粛なる劇場の体面を保たせないようにしてしまった。銀座の商店の改良と銀座の街の敷石とは、将来如何なる進化の道によって、浴衣《ゆかた》に兵児帯《へこおび》をしめた夕凉《ゆうすずみ》の人の姿と、唐傘《からかさ》に高足駄《たかあしだ》を穿《は》いた通行人との調和を取るに至るであろうか。交詢社《こうじゅんしゃ》の広間に行くと、希臘風《ギリシヤふう》の人物を描いた「|神の森《ポアサクレエ》」の壁画の下《もと》に、五《いつ》ツ紋《もん》の紳士や替《かわ》り地《じ》のフロックコオトを着た紳士が幾組となく対座して、囲碁仙集《いごせんしゅう》をやっている。高い金箔《
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