フ》ずと遠い嵐のように軟《やわら》げられてしまうこの家《や》の茶室に、自分は折曲げて坐る足の痛さをも厭《いと》わず、幾度《いくたび》か湯のたぎる茶釜の調《しらべ》を聞きながら礼儀のない現代に対する反感を休めさせた。
 建込《たてこ》んだ表通りの人家に遮《さえ》ぎられて、すぐ真向《まむかい》に立っている彼《か》の高い本願寺の屋根さえ、何処《どこ》にあるのか分らぬような静なこの辺《へん》の裏通には、正しい人たちの決して案内知らぬ横町《よこちょう》が幾筋もある。こういう横町の二階の欄干から、自分は或る雨上りの夏の夜《よ》に通り過る新内《しんない》を呼び止めて酔月情話《すいげつじょうわ》を語らせて喜んだ事がある。また梅が散る春寒《はるさむ》の昼過ぎ、摺硝子《すりガラス》の障子《しょうじ》を閉めきった座敷の中《なか》は黄昏《たそがれ》のように薄暗く、老妓ばかりが寄集った一中節《いっちゅうぶし》のさらいの会に、自分は光沢《つや》のない古びた音調に、ともすれば疲れがちなる哀傷を味った事もあった。
 しかしまた自分の不幸なるコスモポリチズムは、自分をしてそのヴェランダの外《そと》なる植込の間から、水蒸
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