cな新しい調和を作り出したかを必ず知っていた事であろう。
 明治の初年は一方において西洋文明を丁寧に輸入し綺麗に模倣し正直に工風《くふう》を凝《こら》した時代である。と同時に、一方においては、徳川幕府の圧迫を脱した江戸芸術の残りの花が、目覚《めざま》しくも一時に二度目の春を見せた時代である。劇壇において芝翫《しかん》、彦三郎《ひこさぶろう》、田之助《たのすけ》の名を挙げ得ると共に文学には黙阿弥《もくあみ》、魯文《ろぶん》、柳北《りゅうほく》の如き才人が現れ、画界には暁斎《ぎょうさい》や芳年《よしとし》の名が轟《とどろ》き渡った。境川《さかいがわ》や陣幕《じんまく》の如き相撲《すもう》はその後《ご》には一人もない。円朝《えんちょう》の後《のち》に円朝は出なかった。吉原《よしわら》は大江戸の昔よりも更に一層の繁栄を極め、金瓶大黒《きんべいだいこく》の三名妓の噂が一世《いっせ》の語り草となった位である。
 両国橋には不朽なる浮世絵の背景がある。柳橋《やなぎばし》は動しがたい伝説の権威を背負《せお》っている。それに対して自分は艶《なまめ》かしい意味においてしん橋[#「しん橋」に傍点]の名を思出
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