iポレオン帝政当時の胸甲騎兵《きょうこうきへい》の甲《かぶと》を連想する。

 銀座の表通りを去って、いわゆる金春《こんぱる》の横町《よこちょう》を歩み、両側ともに今では古びて薄暗くなった煉瓦造《れんがづく》りの長屋を見ると、自分はやはり明治初年における西洋文明輸入の当時を懐しく思返すのである。説明するまでもなく金春の煉瓦造りは、土蔵のように壁塗りになっていて、赤い煉瓦の生地《きじ》を露出させてはいない。家の軒はいずれも長く突き出《い》で円《まる》い柱に支えられている。今日ではこのアアチの下をば無用の空地《くうち》にして置くだけの余裕がなくって、戸々《ここ》勝手《かって》にこれを改造しあるいは破壊してしまった。しかし当初この煉瓦造を経営した建築者の理想は家並《やな》みの高さを一致させた上に、家ごとの軒の半円形と円柱との列によって、丁度リボリの街路を見るように、美しいアルカアドの眺めを作らせるつもりであったに違いない。二、三十年|前《ぜん》の風流才子は南国風なあの石の柱と軒の弓形《アーチ》とがその蔭なる江戸|生粋《きっすい》の格子戸《こうしど》と御神燈《ごしんとう》とに対して、如何に不思
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