雲が流れて強い日光が照り初めると直ぐに苺が熟した。枇杷の実が次第に色付いて、無花果《いちぢく》の葉裏にはもう鳩の卵ほどの実がなつて居た。日当の悪い木立の奥に青白い紫陽花《あぢさゐ》が気味わるく咲きかけるばかりで、最早や庭中何処を見ても花と云ふものは一つもない。青かつた木葉《このは》の今は恐しく黒ずんで来たのが不快に見えてならぬ。古庭はます/\暗くなつて行くばかりである。
 或日の夕方近所の子供が裏庭の垣根を破《こは》して、長い竹竿で梅の実を叩き落して逃げて行つた。別に小消化なものを食べたと云ふのでもないのに、突然夜中に腹痛を覚え自分はふいと眼をさました事がある。其の時|戸外《おもて》には余程《よほど》前から雨が降つてゐたと見えて、点滴の響のみか、夜風が屋根の上にと梢から払ひ落すまばら[#「まばら」に傍点]な雫の音をも耳にした。梅雨《ばいう》はこんな風に何時から降出したともなく降り出して何時止むとも知らず引き続く……
 家中《いへぢゆう》の障子を悉く明け放し空の青さと木葉《このは》の緑を眺めながら午後《ひるすぎ》の暑さに草苺や桜の実を貪つた頃には、風に動く木の葉の乾いた響が殊更に晴れた
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