ろ》『吉原青楼《よしわらせいろう》年中行事』二巻の板下絵《はんしたえ》を描きしは五十前後即ち晩年の折なり。我今彼らの芸術を品評せず唯その意気を嘉《よみ》しその労を思ひその勇に感ず。
一 今の小説家筆持つ事をば労作なりと称す。推敲《すいこう》は苦心なり固《もと》より楽事《らくじ》にあらず然れども苦悶の中《うち》自《おのずか》らまた言外の慰楽の伴来《ともないきた》るものなきにあらず。文事を以てあたかも蟻の物を運ぶが如き労働なりとなす所以《ゆえん》われらの到底解する能《あた》はざる所なり。工匠《こうしょう》の家を建つるは労働なり。然りといへども鑿《のみ》鉋《かんな》を手にするもの欣然《きんぜん》としてその業を楽しみ時に覚えず清元《きよもと》でも口ずさむほどなればその術必ず拙《つたな》からず。昔日《せきじつ》の普請《ふしん》と今日の受負《うけおい》工事とを比較せば思《おもい》半《なかば》に過《すぐ》るものあらん。
一 黄梅《こうばい》の時節漸く過ぐ、正に曝書《ばくしょ》すべし。偶《たまたま》趙甌北《ちょうおうほく》の詩集を繙《ひもと》くに左の如き絶句あるを見たり。
[#ここから2字下げ]
 売
前へ 次へ
全10ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング