れいちょう》なるや我知らず。およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。高遠なる理想を主とする著作時として全く架空の事件を綴るものあるが如しといへども、行文《こうぶん》の中《うち》自《おのずか》ら作者の人間世間に対する観察の歴然として窺ふべきものあり。されば作者老いて世事に倦《う》みただ青山白雲を友としたきやうの考《かんがえ》起り来《きた》れば文才の有無にかかはらず、小説の述作は自《おのずか》ら絶ゆべし。小説の生命は俗なる所にあり。人間に接する処にあり。世事に興味を有する所にあり。西洋の文学小説に重《おもき》を置けども東洋においては然らざる所以《ゆえん》けだし尋《たずぬ》るに難からず。
一 柳亭種彦《りゅうていたねひこ》『田舎源氏《いなかげんじ》』の稿を起せしは文政《ぶんせい》の末なり。然ればその齢《よわい》既に五十に達せり。為永春水《ためながしゅんすい》が『梅暦《うめごよみ》』を作りし時の齢を考ふるにまた相似たり。彼ら江戸の戯作者いくつになつても色つぽい事にかけては引けを取らず。浮世絵師について見るに歌麿《うたま
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