《まぶた》を静かに閉じた。そして唇を動かした。また咽喉がごくりと鳴った。
「駄目だ駄目だ。水なんか呑ませじゃ駄目だ。婆様は水を呑ませっとすんぐに寝小便だから……」
こう言っている声を、たしかにそう言っている声をお婆さんは聞いたように思った。
蒼白《あおじろ》い瞼《まぶた》の陰《かげ》には、いろいろな場面が繰《く》り展《ひろ》げられた。六十幾年間の自分自身の苦闘の姿であった。そこには、寝小便ばかりではない。食事最中にまで、自分の懐《ふところ》で糞《うんこ》をした伜や孫がいた。そして、一旦老衰の床に就くと、一杯の水さえ自由に与えられない自分自身の姿が、自分の瞼の裏に描かれていた。
障子の上で、ぶぶうっと紙に突き当たっていた蠅が一匹、お婆さんの瞼へ来てとまった。お婆さんは閉じたままの瞼をひくひくと微動させた。蠅はすぐに飛び去った。睫毛《まつげ》の間には、小粒の涙滴《るいてき》が、一列に繁叩《しばたた》き出された。
二
お美代が土瓶《どびん》と飯茶碗とを持ってはいって来た。足音でお婆さんは布団の襟に眼をこすりつけた。
「婆《ばば》さん、ほら、水持って来したで。」
「うむ、
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