でから十日も過ぎてからであった。そして、父親も母親も、失神の状態で、幾日も幾日も仕事が手につかなかった。それでも、砂利会社からの慰藉金《いしゃきん》や、同僚達からの香奠《こうでん》などを寄せると、伝平夫婦の手には、百円ばかりの金が残った。
「これこそあ、耕平の野郎の、身《み》の代金《しろきん》だぞ。無暗なことにあ遣《つか》われねえぞ。この金は、金として、取って置かなくちゃ。」
伝平はそう言って、その金で馬を買う気持ちさえも、その当座は起こらないらしかった。
「ほんでも、金で持ってるど、眼に見えねえごとに遣《つか》ってしまうんじゃねえかね。」
女房のスゲノは首を傾《かし》げながら言うのだった。炎天の下に水を溜めようとしても、水は、いつの間にか蒸発してしまう。伝平もそれは知っていた。
「思い切って、耕平の野郎さ、立派な墓石でも建ててやるか?」
伝平は眼を輝かしながら言った。
「それさね。ふんでも、立派な墓石など建てたって、毎日お墓さ行って見れるもんでもあるめえしね。何か家さ置けるものを買ったら、どんなものかね。」
「それじゃ仏壇でも買うか?」
「それよりも、思い切って、馬のいいのを買ったらどうかね。耕平も、馬を買うべって稼ぎに行って……」
母親はそう言っているうちに、涙がじめじめと虫のように匐《は》い出して来て、言葉が継《つ》げなくなった。
「よし! 馬を買うべ! 馬のいいのを買うべ!」
伝平は手を叩くようにして言った。
伝平はそうして、七十円ばかりで、橡栗毛《とちくりげ》の馬を一匹買ったのだった。残りの金では、馬小屋にも手入れをした。そして、伝平は、一日のうち、馬小屋にいる時間の方が、遙かに長かった。
「おおら! おおら! おおら!」
伝平はそう言って、馬の肩あたりを撫《な》でてやりながら、いつまでも凝《じ》っと馬の眼を視詰めているのだった。そして、伝平の眼には、いつの間にか涙がするすると湧いて来る。伝平はすると、馬の首に手をかけて、その眼を馬の顔に押し当てるのだった。
「汝《にし》等あ、馬を大切にしなくちゃなんねえぞ。兄ちゃんの身代わり金で買ったのだから、馬だって、兄ちゃんと同じことだぞ。兄ちゃんさ美味《うま》いもの喰わせるつもりで、美味そうな青い草でもあったら、取って来て喰わせたり、大切にしなくちゃなんねえぞ。」
伝平は、そう小さな子供達に言うのだった。
「耕! 耕! 耕や!」
伝平は馬の肩を撫でながら、そんな風に言っていることもあった。
「伯楽は、なんのつもりで、馬を買ったんだべ? 馬を遊ばせて置いて、伯楽は自分で重いものを背負っているじゃねえか? 自分で馬を持ったことねえもんだから、惜しくて、使われねえのじゃねえか?」
部落ではそんな噂《うわさ》をしていた。いくらかそんな気持ちもあるにはあったが、伝平夫婦には、馬が伜の耕平に見えて仕方がないのだった。女房のスゲノも、涙がじめじめとわけもなく出て来るときなど、馬小屋へ行っては、馬の肩を撫でながら、一時間でも二時間でも馬の眼を視詰めていた。
*
併し、農事が忙しくなると、やはり、飼ってある馬を使わずにはいられなかった。雑木山からの薪運びに、伝平は、初めて馬を使役に曳き出した。むろん、馬に、乗る気になどはなれなかった。腰を曲げるようにして、崖《がけ》の上の細い坂路を、馬を曳いて上って行った。
伝平はそして、荷を、軽目に積んだ。併し、馬は、暫く荷を張られなかったので、荷を積んで曳き出すと、一脚ごとに鞍を揺《ゆ》す振《ぶ》った。そして、崖の上の下り勾配《こうばい》にかかると、跛《びっこ》でも引くように、首を上げ下げして、歩調を乱すようにしては立ち止まるのであった。
「脚が悪いのかな?」
伝平はそう言って、何度も振り返って見たが、坂の中途で馬を停めてしまった。
「可哀想な野郎だよ。」
伝平はそう言いながら、六個の薪束を、四個に減らした。そして、伝平は、自分が背負っていた二個に、さらにその二個を加えた。立ち上がると、四個の薪束の重さで、伝平はよろよろした。ちょうどそのとき、路の上に垂れ伸びていた木の枝が、馬の顔をばさりと叩いた。馬は驚いて跳《は》ねあがった。その途端に、馬は、崖に脚を踏み外《はず》してしまった。
「あっ! あっ! あっ!」
伝平は叫びながら手綱《たづな》を手繰《たぐ》ったが、もう間に合わなかった。四個の薪束の重さで、足がよろよろ浮いているところを、崖に墜落して行く馬の手綱にぐっと引かれて、伝平はひとたまりもなく谷底へ伴れて行かれてしまった。
*
伝平の怪我も、馬の怪我も、殆んど、致命傷だった。
「耕平の怪我はどうだあ! 耕平の方は俺より酷《ひど》くねえか? 生命《いのち》がありそうか!」
伝平はそう譫言《うわ
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