作《むぞうさ》に、火をつけて、ぷかぷかと貪《むさぼ》り吸った。煙は薄蒼白く、燻銀《いぶしぎん》の空から流れる光線の反射具合で、或いは赤紫に、ゆるやかに縺《もつ》れて灌木の叢の中に吸い込まれて行った。
梅三爺は、白毛混《しらがま》じりの無精髯《ぶしょうひげ》にかこまれた厚い唇を、いやに尖《とが》らして、その高貴な煙草――自分ではかつて一度も買ったことのない、一年に一度くらいの割合で、珍しい相手から一本を限度として与えられる、貴重な煙草の真の味わいを味わいつくそうと努めた。けれども爺は、その一本の半分とは燻《くゆ》らさないうちに唐鍬の柄でそうっと揉み消した。そして、佩嚢《どうらん》から、なでしこ[#「なでしこ」に傍点]の刻《きざ》み煙草を取り出し、二三度吸った。
「どうも私等《わてえら》には、巻き煙草では、強がすもな。」
「僕等は、どうも刻みは面倒で……」と、竜雄は別の一本へと吸いさしから火を移した。
「東京さは、今度は、いつ御上京《おのぼり》でがす?」
梅三爺は突然思い出したように、さっきの吸いさしに火をつけながら、また唇を尖らして、とぎれとぎれに訊いた。
「東京なんか、もう、行く気になれんですね。」
「ははは……」と、梅三爺は笑いの中から煙を吐き出した。「やっぱり、田舎《ざえ》の方が宜《よ》がすかな?」
「僕も今度は、一つ百姓をして見ようと思ってね。僕も、開墾でもやりたいと思っているのだが……」
こう言って竜雄は、微笑《ほほえ》んではいたが、彼の計画は真摯《しんし》だった。
「あんだ等が百姓だなんて……百姓しねえたって、役場さ勤《で》るが、学校さでも勤《で》たら……」
「そのくらいなら……」と、竜雄は爺の言葉を遮《さえぎ》った。「――いや、百姓が一番だ。僕は、百姓したいから、東京へなんか行くのを止《や》めたんでね。でなけりゃ、まだ……」
「ほんでも、せっかく、今までやって、惜しがすぺちゃ。」
「僕なんか、最初っから間違っていたんですね。僕等は、百姓の子だから、百姓をやっていればよかったんですよ。まるで、もぐらもち[#「もぐらもち」に傍点]が陽当《ひなた》に出て行ったようなもんで、いい世間のもの笑いですよ。」
彼は微笑みながら言った。そして、「全く、光を求めたもぐらもち[#「もぐらもち」に傍点]だったんだ。」と心の中に呟《つぶや》いた。
併し梅三爺には、竜雄が百姓をしたがっていると言うこと以外に、なんのことか判然とは解らなかった。
「百姓もこれ、やって見れば、別《べっ》して宜《え》いもんでもがいんね。朝から晩まで、真黒になって稼《かせ》いで!」
「僕には、それがいいんですよ。なんの心配もなく、真黒になって働いて、第一|暢気《のんき》だからね。」
「そうでがすかね。あんまり暢気でもがいんがな。まあ、やって見さいん。」
「百姓の生活が暢気でねえなんて……。僕は、考えただけでも愉快ですけれどね。」
こう言って、竜雄は微笑みながら梅三爺の顔を見た。
三
太陽はいつか西に傾いていた。この季節特有の薄靄《うすもや》にかげろわれて、熟《う》れたトマトのように赤かった。そして、彼方此方《かなたこなた》に散在する雑木の森は、夕靄の中に黝《くろず》んでいた。萌黄《もえぎ》おどしの樅《もみ》の嫩葉《ふたば》が殊に目立った。緑のスロープも、高地になるに随って明るく、陰影が一刷毛《ひとはけ》に撫で下ろされた。蘆《あし》の叢《くさむら》の多い下の沢では、葦切《よしき》りが喧《やかま》しく啼《な》いていた。
「父《おど》! 俺《おら》、家《うち》さ行ぐでは。お飯《まんま》炊《た》く時分だからは……」
父親の傍で、黙って聞いていたヨーギは、急に起《た》ち上がった。
「ああ。火を気付けでな。」
「俺《おら》も、兄《あん》つあんと行ぐは。」と一人で土を弄《いじく》って遊んでいたよし[#「よし」に傍点]が、土煙の中から飛び出してヨーギの方へ駈けて行った。
「うむ。うむ。」と梅三爺は、それにも返事を与えた。
「よく飯《めし》が炊けますね。」竜雄は心からの驚きの表情を示して。
「なあに、母親《がが》がいねえもんだから……」
「それにしても、よくまあ……。やっぱり[#「やっぱり」は底本では「やっぽり」]百姓の生活はいい。僕なんかも、小さい時から百姓をさせられたら……」――彼は自分の、恵まれ過ぎた幼時の生活を考えて見ずにはいられなかった。「僕なんかの小さい時は、全く泣くこときり知らなかったんだからね。」
「学校さだけは、もう少し、六年生まででも、尋常科だけでも卒業させでえと思ったのでがすが、何しろ私等《わしら》は、帳面一冊買ってやんのだって、なかなか大変なのでがすからは……ほんでも、四年生までやったのでがすげっとも、手紙一本書けねえんでがすから
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