》であんめえが?」
「なに? 配達《へえたつ》? ほんではまだ、兄《あん》つあんどこがらでも来たがやな。」
「なんだ? 巡査様だがもしせねえ。」
 養吉は、雑草の中から伸びあがった。
「なんだど? 巡査様だど?」
 その訊き方はちょっと狼狽《あわて》ていた。同時に梅三爺の顔には、さっと不安の表情が流れたようであった。「市平が、何か悪《わり》ごどでもしたのであんめえがな?」と彼は思ったのであった。彼は、伜《せがれ》の市平のことについては、ただそればかりが気になっているのであった。
「巡査様、なにしに来たべな?」と、梅三爺は不安の中から繰り返した。
「白いズボンはいで、黒い服だげっとも……巡査様でねえがな?」
 よし[#「よし」に傍点]はぽかんと口をあけて、雑草をわけて近付いて来る白ズボンの人を、背伸びをして見極めようとした。蒼白い飴《あめ》のような洟《はな》が、今にも口の中に垂れ込みそうであった。
 眼鏡《めがね》をかけた白ズボンの青年は、いよいよ梅三爺とは五六間程の距離になった。爺は、それが巡査でないことだけは判《わか》った。が、どうも役人らしいので、二度三度と、四度までも続けざまに頭を下げた。
「頭せえ下げて置けば、大概間違いはあんめえから……」という意識が、無意識のうちに彼の心に動いていたのであった。
「竜雄です。天王寺の竜雄です。」と、青年は名乗った。
「あ、竜雄さんでがすか?……」
 梅三爺は思い出したように、また懐《なつか》しそうに言って青年の方へ歩み寄った。梅三爺は、その若き日の過去を、幾年となく竜雄の家に雇われてきたのであった。市平もまた、田園|遁走《とんそう》までの四五年を、父親の後を引き継いでいたのであった。

     二

 刈り倒された青草を藉《し》いて二人は腰を下ろした。
「今日は、なんの方でがす。山遊びしか?」と梅三爺は訊いた。
「山遊びなんて、僕もそんな暢気《のんき》なことはしていられなくなってね。今日は、山巡りに来た序《つい》でなものだから……どうも草盗まれて、萱《かや》まで刈られんので……」
「あ、ほうしか。」
 爛《ただ》れた眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》くようにして、梅三爺はもう一度彼の姿を見直した。
「山は、まったくいいですね。」と竜雄は、あらためて四辺《あたり》を見廻すようにした。
「え、山はね。宜《い》がすちゃね……」
「どこを見ても、みんな緑だ。実に新鮮な色彩だ。それに、土の匂いがするし……。ほんに、田舎に限るな。」
 彼は独り言のように言った。
 梅三爺も爛《ただ》れた眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》るようにして四辺《あたり》を見廻した。鼻もうごめかしてみた。――しかし、雑草の緑が沁みついた梅三爺の瞳には、決して新鮮な眺望ではなかった。すがすがしい土の香《かおり》も、既に全身に沁みつくして、彼の嗅覚《きゅうかく》を刺激するようなことはなかった。美衣美食の生活者が、美衣美食を知らぬと同じ悲しさが梅三爺の上にもあった。
「東京になざあ、こうえな青々したところ、どこにも有《が》すめえもねえ。」
「え。ずうっと郊外、在の方へでも行かなければ……。なんと言っても、田舎のことですね。全く、百姓の生活に限る。」
 彼は語尾を独り言のように結んで首を項垂《うなだ》れた。
 竜雄は、三年前に東京へ出て行った。高等予備校に通って、高等学校の受験準備をするのが目的であった。しかし、彼は三度の入学試験に、三度とも撥《は》ねられた。今の彼の心には、田園生活がとぐろを巻いているのであった。
「そうで有《が》すべかね?」
「どうも僕なんかには、東京は適当《むか》ねえようだね。うるさくって、うるさくって。あれじゃ、気が荒くなるのも無理はねえですよ。ちょっと電車へ乗るんだって、まるで喧嘩腰だもの。――さあ、どうです一本……」
 竜雄は、ポケットから「敷島」の袋を取り出して、梅三爺にすすめた。
「あ、宜《い》がすちゃ、宜《い》がすちゃ。」と、梅三爺は辞退して、「ヨーギ、其処《そっ》から、どらんこ[#「どらんこ」に傍点](煙草を入れる佩嚢《どうらん》)持って来う。――ほして、汝《にし》も少し休め。うむ、ヨーギ。」と一本の小さな栗の木を指《さ》しながら言った。
 鎌を持って立っていたヨーギは、向こうの栗の小枝にかかっている佩嚢《どうらん》を取りに駈けて行った。その間竜雄は、無言のまま梅三爺の前に「敷島」の袋を突き出していた。
「や、これはこれは、どうもまあ……」
 梅三爺は勿体《もったい》なさそうにして、恭《うやうや》しく一本の煙草を抜き取った。併し、抜き取っては見たが、この貴重なものに、火をつけたものかどうかと、暫く躊躇《ちゅうちょ》の様子を見せた。その間に竜雄は、無雑
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