……。市平どこさ、手紙やりでえど思っても、その手紙が書けねえって言うんでがすから……」
梅三爺の訴えは涙含《なみだぐ》ましかった。
「市平君は、今どこにいるね?」
「あの放浪者《のっつお》は、今、北海道の、十勝の……先達《せんだって》手紙寄越して、表書きはあんのでがすが。――なんでも線路工夫してる風でがす。」
「ほう、線路工夫! ――市平君でもいれば、梅三|爺様《じいつぁま》も、随分助かるのにな。」
「ほでがす。あの放浪者《のっつお》がいれば……。連れ寄せべと思っても、なったら帰《けえ》って来がらねえし、今度は、親父が急病だってでも、言ってやんべかと思っていんのしゃ。」
「そりゃ、どうかして呼んだ方がいいね。いつまでも工夫していられるもんでもないし。――僕が一つ、きっと帰ってくるように、手紙を書いてやろうかな?」
竜雄はにやにやと笑った。
「どうぞは、お願いでがすちゃ。」と、梅三爺は二度ばかり頭を下げた。
四
竜雄が、市平に宛てた手紙を書いてから一週間目、市平は颯然《さつぜん》として帰ってきた。
その日のその時も梅三爺は開墾場で働いていた。飯を炊きに帰った養吉が、「兄《あん》つあんが帰って来たぞう!」と叫びながら駈けて来たので、梅三爺は唐鍬《とうぐわ》を担《かつ》いで、よこらよこらと自分の小屋へ帰って来たのであった。
「あ、市平だで……」
「うむ。父《おど》病気だぢゅうがら……」
市平は長靴を脱ぎ、炉傍《ろばた》にあぐらをかいて、巻き煙草を燻《くゆ》らしているところであった。
「病気ではねえのだげっとも、俺《おら》もこれ……」
梅三爺はその後を言い続けられなかった。嬉しい気持ちなのか、それとも涙なのか、胸にこみあげて来るものが、梅三爺の言葉を遮《さえぎ》った。
市平は、三年前に夜逃げをして行った時の彼とは、すっかり変わっていた。油に光沢を蓄えた髪を長くし、口髭を生やしていた。村の人々や父親を考えの中に入れて、知人の駅夫から借りて来た小倉の服には、五つの銀釦《ぎんぼたん》が星のように光っていた。保線課の詰め所に出入りする靴屋から、一カ月一円五十銭払いの月賦で買った革の長靴は、彼の予期通り、村の人々をも父親をも驚かした。
「これは市平、とっても立派な長靴でねえがや。巡査様《おまわりさま》の長靴だって、こんなに光んねえものな。」と、梅三爺は土まみれの、大きなごつごつした足を、それに突っ込んで見ようとした。
「父《おど》! 駄目だ、父《おど》。足さ合わせて拵《こせ》えだのだがら、父《おど》足さなど這入《へい》んねえがら……」
「ほだべがな。俺《おら》足は生来《うまれつき》、靴なんか穿《は》ぐように出来でねえんだな。」と言いながら、半分ほど穿いたのを、梅三爺は難儀して脱いだ。
「天王寺あたりの人達、この長靴、じろじろど見でだけちゃ。」
こう言って市平は、ポケットから「敷島」の袋を取り出した。
「ほださ。ここらへんに、これだけの長靴、持ってる人は無《ね》えもの。――巻き煙草は強くてな。」
併し、梅三爺は一本抜きとった。
市平も梅三爺も、村の人達の、「市平も、偉ぐなったもんだな。」という声を、自分の耳底に聞くような気がした。――梅三爺は、自分の伜ながら、市平があまりに偉くなってしまったような気がした。それは悦びばかりではなかった。爺は肝心な用事、市平を再び百姓の生活に引き戻すことについて言い出すことが出来なかった。
夜になって、色|褪《あ》せた一張の襤褸蚊帳《ぼろがや》が吊られた。市平にはそれが、なんとなく懐《なつか》しかった。涙含《なみだぐ》ましくさえ思われた。そして親子四人は、暫くぶりで一枚の布団《ふとん》にもぐりこんだのであった。ヨーギとよし[#「よし」に傍点]とは、昼の疲れですぐ眠ってしまった。併し、梅三爺も市平も、心が冴えているようで、それに蚤《のみ》がひどいので、なかなか眠ることが出来なかった。二人は長い間、寝返りを打ち続けていた。
「父《おど》も、一人では、ながなが大変だべな。」
市平は、こう父親に話しかけた。
「うむ。ほんでな、俺《おら》は市平に、貴様が、せっかく出世しかけだどこだげっとも、一つ家《うち》へ戻ってもらうべかと思ってな。ほんで……」
梅三爺は遠慮勝ちな調子で言った。市平は、暫くの間黙っていたが、やがて、しんみりとした調子で言った。
「ほだら父《おど》、父《おど》も北海道さ行がねえが? 北海道さ行って、鉄道の踏切番でもすれば……! 踏切番はいいぞ、父《おど》!」
「鉄道の踏切番? 洋服《ふぐ》着て、靴はいでがあ? 俺《おら》に出来んべかや?」
「なんだけな、あんなごと、誰にだって出来る。汽車来た時、旗出せばいいのだもの。」
「ほだって俺《おら》、洋服《ふぐ》着たり、靴穿いだ
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