りして、お笑止《しょうし》ごったちゃ。」
「父《おど》は馬鹿なごどばり言って……」
市平は尚、踏切番という仕事が、年寄りに取って、いかにいい職業であるかを説いた。自分達親子で、官舎の一部を借りることが出来るから、そして二人で月給を取れば、どんなに裕福であるか知れないこと、被服などももらえるし、第一物価が廉《やす》いことなどを細々《こまごま》と話した。
「一体、開墾して、父《おど》、一日なんぼになっけな。」
「ほだなあ、汝《にし》いだ頃から見れば、坪あだり五厘ずつあがったがら、七十五銭ぐらいにはなんのさな。天気がよくて、唐鍬《とうぐわ》せえ持って出れば、十六七坪は拓《おご》すから。」
「十六七坪も拓《おご》すの、なかなか骨だべちゃ?」
「うむ。ここは、開墾賃《おごすちん》もいい代わり、一鍬拓《ひとくわおご》すでねえがらな。深掘りだがんな。」
「踏切番は、初めの中は日給五十銭ぐらいなもんだげっとも、仕事は楽なもんだで、父《おど》!」
「五十五銭だっていいさ。日を並べられるもの。俺《おら》など、天気の悪《わり》えどぎ出来ねえがら、そうさな、一日四十銭平均にもなんめえで、きっと。」
市平は闇黒《あんこく》の空間を凝視《みつ》めたきり、暫く黙っていた。米一升が三十銭近い価《あたい》を持っているのに、一家三人の家族が、一日四十銭で、よく生きて行けるものだと、昔は自分もそうした生活の中にあったのだが、今の市平には不思議に思われる程であった。十年間は無料、その後は永小作《えいこさく》制度を約束された一|段歩《たんぶ》程の土地を小屋のまわりに持っているのだが、梅三爺一人の手では、屋敷として使う以外、大した収穫を上げることは出来なかった。市平は長い沈黙の後に言った。
「ほだから父《おど》、北海道さ、俺と一緒に行げばいいんだ。」
「ほだって俺《おら》、北海道の土になってしまうの厭《やん》だな。いつ帰《けえ》りたくなるが判んねえし、今ここを去《しゃ》ってしめえば、俺《おら》はこれ、自分の家というものは、無くなってしまうのだかんな、これ。」
「ここだって、自分の土地でもあるめえし、どこさ行ったって同じでねえがあ父《おど》!」
「ほんでもさ。ここにいれば、これで、一生、誰も去《しゃ》れどは言わねえがんな。――天王寺の春吉《はるきち》らなど皆土地売って行って、今じゃ、帰《けえ》って来たがっていっちが、ほんでも帰《けえ》って来ることが出来ねえのだぢゅうでや。なんちたって、生まれだ土地が一番いいがんな。何《なん》が無《ね》えたって……」
話が暫く途絶《とだ》えた。市平も何も言わなかった。ただ涙含ましい空気が漂《ただよ》った。
「ほんでは父《おど》、俺《おら》、毎月《まいげつ》五円ずつ送って寄越すから。――毎月五円ずつ。」と言って市平は、顔の火照《ほて》るのを覚えた。
「そうが。ほんでは、父《おど》も辛抱して、汝《にし》あ出世して帰《けえ》るまで、ほんの少しでも、自分の土地だっちもの買って置くがんな。」
彼等は、永小作の土地だけでは満足が出来なかった。――市平は何も答えなかった。併し、悲しい別れは再び約束された。
五
梅三爺はなかなか暇がなかった。せっかく市平が帰って来たのに、そして再びの北海道行きが約束されているのに、ゆっくりと話をする暇も無かった。薄暗い小屋の中に市平を残して。やはり唐鍬を担《かつ》いで朝早くから出て行かなければならなかった。
「少し休んだら? あ、父《おど》!」
市平がこう言ったのは、彼が帰って来てから三日目の朝だった。
「ほんでもな、天気がいいがら、少し稼いで来《こ》んべで。――まだ、話は晩にでも出来んのだから……」
「俺《おら》は父《おど》、明日の朝|出発《たつ》のだで。」
「明日の朝? 魂消《たまげ》た早えもんだな。もう少しいでも宜《よ》かんべどきに……」
梅三爺は爛《ただ》れた眼をぱちくりさせながら、一度手にした唐鍬を置いて、炉傍《ろばた》に戻って来た。そして煙管《きせる》をぬき取った。
「ほだって、俺も忙しいがんな。みんな待ってべがら。」
「なんぼ忙しくたってさ。」
梅三爺は少しむっとしたようであった。
「天王寺の竜雄さんなんざ、百姓に限るって、あの人達こそ百姓などしねえでもいい人達なんだが、ほんでもあれ、生まれた土地がいいどて、ああして帰《けえ》って来てんのだぢあ……。どういうわけだべな? 汝《にし》は、他国さばり行ぎだがって……。俺《おら》もこれ、近頃は弱ってしまって……」
梅三爺の爛《ただ》れた眼には涙が湧いて来た。それが静かに頬の上にあふれて来つつあった。
「俺《おら》だって父《おど》、好ぎで行ぐわけでねえちゃ。竜雄さん等みてえに、自分の好ぎなごとしていで、ほんで暮らしが出来っこったら、父ど
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