無くなっても、局部に残る神経が、未だその機能を失ってはいないのだなと思った。死んだ鮎《あゆ》を焼くとピンとそりかえったり動いたりする……、鰻《うなぎ》を焼くとぎくぎく動く、蚯蚓《みみず》を寸断すると、部分部分になって動く……。
 豚も、額《ひたい》をガンとやられて、首をごそごそとやられたら、手や足や、身体全体を、ひくひくと顫《ふる》え動かして苦しむだろう……と彼は思った。それを思うと、あの無邪気そうな豚を、自分の手で殺すのは、いくら金になっても厭な気がした。仲田は、ころりっと死んでしまうと言ったが、粘土細工じゃあるまいし、倒れたが最後そのまま動かなくなる筈《はず》が無いと思った。その他に自分の食って行く道が無いというなら仕方も無いが。
 蟻は一匹の王を戴《いただ》いて毎日朝から晩まで働いている。一匹も怠《なま》けるものがなく、そして大きな仕事にぶつかれば大勢一緒になってそれに掛かる。皆仕事を持っているから一匹として生活の不安を抱いているものが無く働いている。この共産主義的蟻の社会には、怠ける者も狡《ずる》い者も王者を倒そうとする者も無いから、立派に成立して行く。人間にもこうした不安の無い社会が出来ないものだろうかと思った。出来たら、不安なく働けて、そして自分の持って生まれたものを伸ばして行く事が出来るだろう。そういう社会に住んでいれば、怠け者でない限り、狡い者で無い限り、王者を敬うものである限り、終生生活の不安も無く職を失う憂えも無く生きられるのだが、などと彼は考えた。
「それにしても、あの小さな蟻ん坊が、よくこんな大きな蜻蛉を殺して、そして引っ張って行くものだな。」と彼は呟《つぶや》いて、その首の無い蜻蛉の屍を拾い上げて見た。すると蜻蛉の足から翼にかけて、細い細い絹絲のような蜘蛛《くも》の巣が、幾本も寄り集まってもち[#「もち」に傍点]の様に喰い付いている。それから視《み》ると、飛んでいる中に蜘蛛の巣にかかって、ばたばたして下に落ちたのを、蟻の群に攻められたのだと想像されるのである。
 彼はまた考えた。
 蟻は労働者のように終日こつこつと働いて食うし、蜘蛛は資本家のように、暑い夏の日を、梢《こずえ》から枝へとハンモックを釣って、その上に寝ていて食っている。だが両方とも、自分が生きるために他の動物を殺すことは少しの躊躇もないらしい。そしてそれが生きようとするものの正
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