それに私は、前に学郎さんと一緒に甲州の方へ十日間ばかり旅行して、その時のことを学郎さんと二人で「甲斐の旅」という紀行文を作って、今村先生からほめられた事があった。それから、この年の二月、未だ病気をしなかった頃に、今村家を中心として拵《こしら》えた「流汗主義」という論文的な文章を雑誌「樹蔭」に書いて、この時も今村先生からほめて頂いた。そうで無くてさえ、文学には有頂天だったのだから、佐々木にしてはうまいものだと言う今村先生のおほめを、自分で全《ちゃっ》かり佐々木はうまいものだ! にしてしまって、下手《へた》の横好きという俗諺《ぞくげん》の通りに、私は到頭、文章家として立とうと決心したのであった。大正九年の初秋、玉蜀黍《とうもろこし》の葉末に、秋らしい微風の音を聞く頃……。
病弱時代
赤十字病院を退院すると私はすぐに、大船《おおふな》の常楽寺に行って静養する事になった。そこには今村のお嬢さんが絵の稽古|旁々《かたがた》松洲先生等と一緒に避暑に行っていたからであった。ところが私は、未だ文章家として立とうと決心したばかりなのに、病院にいるうちから書きたくて書きたくてむずむずしてい
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