骨を削りつつ歩む
――文壇苦行記――
佐左木俊郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)惑《まど》いし途

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)稽古|旁々《かたがた》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「松洲先生や」は底本では「松州先生や」]
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     惑《まど》いし途

 私が作家として立とうと決心したのは、廿一の秋で、今から五年前の事である。そうと意志のきまるまでは、随分種々と他動的に迷わされていたが、私を決心に導いてくれたものは私の病気だった。
 私は廿一の歳に二度病気をした。第一回目は関節炎で、神田の馬島病院に二週間入院して、弁護士の今村力三郎先生から――私はその頃、今村先生のお宅に書生をしていたのだが――入院料を百円程払って頂いた。第二回目は肋膜《ろくまく》で、京橋の福田病院と赤十字病院に、両方で約五十日ばかりいた。この時には、今村先生は五六百円程払って下さった筈《はず》だ。
 作家になろうと決心したのは、まだ福田病院にいた時の事で、或る若いお医者様から、癒《なお》っても二年ぐらいは、ぶらぶらして
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