子はそう遣《や》る瀬《せ》ないように叫びながら、布団《ふとん》に顔を押し当てて、静かに歔欷《すすりな》いた。
「美津! 俺が来たのに泣いたりするなあ。泣くなら帰るで。」
 併し、嘉三郎の頬にも、涙が伝わって来ていた。
「そこに栗の木があるな? 這入《はい》って来るどき、葉の雨滴《あまだれ》が顔さかかって……」
 嘉三郎はそう言って眼のあたりを拭った。
「お父さん! 今まで黙っていて、本当に申し訳のねえことで。恩を忘れたようなごとして……」
「何を水臭いことを言うんだ。それより、何だってこんなところにいるんだ。東京さでも行けばいいじゃねえか? こんなどこで俺の恥まで晒《さら》すより、東京さでも行けばいいじゃねえか? 馬鹿な奴等だっ! 東京さでも行って立派になって来《こ》う! 忠太郎!」
「それも考えでいだのです。併し、お父さんの方に誰も稼《かせ》ぎ手《て》がいなくなるごと考えたりして……」
「馬鹿なっ! 稼がせるために忠太郎を美津の聟《むこ》にしたとなると、それこそ、世間さ顔向けが出来なくなる。何も心配しねえで、自分達だけ、立派になって来う。」
「それより、お父さんさ、酒でも買って来たら?」
 美津子は漸く顔を上げて言った。
「酒か? 酒なら呑んで来たばかりだ。酒より話でもする方がいいで。」
 嘉三郎はそう言ってとめたが、忠太郎は黙って、そそくさと出て行った。
「お父さん? 本当に悪いことして。」
 美津子は又そう言って布団に顔を当てた。
「何も悪いことなどねえで。忠太郎はあれでなかなか偉いところのある奴だ。俺も目をつけていた奴だ。こんなに近くにいてあ、何をしてんのもすぐわかってしまうから、東京さでも行って立派になって来う。この辺なら、俺の名を知っている奴もいるに違《ちげ》えねえが、お前がこんな豚小屋のようなところにいてあ、俺だって気持ちがよくねえからなあ。お前の病気が癒《なお》ったらすぐ東京の方さでも行くさ。」
「ここで旅費を稼ぎ溜めてから、お父さんにも相談して、それから東京の方さでも……」
「旅費を稼《かせ》ぎ溜めるって、何か、仕事があんのか、金なら、百円は少し欠けるけども、持って来てやった。これで、どこへでも、落ち着くんだな。」
 父親の嘉三郎はそう言って袂《たもと》からそこへ金を掴《つか》み出した。美津子はぎらぎらと濡れた眼に驚異の表情を含んで凝《じ》っと父親
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