き、そこで小さな新聞社の記者のようなことをしたり、時には詩なども作ったりしていた彼等の服装や生活は、ひどく派手《はで》なものとして村の百姓達の反感を買ったのだった。
「あんな身装《みなり》して、どこで何していたんだべや? 喧嘩好きで腕節《うでっぷし》の強い奴だったから、碌《ろく》なごとしてたんで無かんべで。」
 併しその悪口は、四苦八苦の生活に喘《あえ》いでいる百姓達の、羨望《せんぼう》の言葉だった。
 露国との戦争が済んでから間もない頃で、日本の農村は一般に疲弊《ひへい》していた。彼等の村はことにひどいようだった。――稼人《かせぎて》を戦争へ引っ張られた農家の人達は、それまで持っていた土地を完全に耕しきることが出来なかったので、彼等は自分の持ち地にかえって重荷を感じた。のみならず、彼等はどんどん現金の要る時なのに、その収入の道がなかったので、一時土地を抵当に入れて金を借りることを考えた。稼人のない間を金に換えて置いて、稼人が帰って来たら再び自分の手許《てもと》に買い戻す。こんなうまい事はない。彼等は僅かの金で土地を手放した。――併し、いよいよ戦争が済んで稼人が帰って来ても、彼等は再び
前へ 次へ
全34ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐左木 俊郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング