田の顔を視詰めていた眼を急に伏せて、紙幣の上に両手をかけて泣き出した。

     八

 彼女は先に床を出た。そして、茶を沸かしてから彼を起こした。五日目ごとに繰り返されて来た今までの生活と、少しも変わりが無かった。
 吉田は茶を飲んで、いつもと同じようにして出て行った。
「じゃ、さようなら、身体《からだ》を大切にしてね。」
 ただ、背広の姿がいつもと変わっているだけだった。
 吉田を送り出して部屋の中へ戻ると、彼女は急に、限り無い寂しさの中へ突き落とされた。彼女は自分を、再び、家鴨のいる池の中へ移される金魚のように思った。例え短い期間ではあったにしても、一人の男に仕えて暮らして来たということは、彼女に取って、家鴨のいない池の中の生活であった。それが再び泥濘《ぬかるみ》の中に踏み込んで行かなければならないのだと思うと、彼女は急に悲しくなった。
 同時に、吉田機関手がこれまでの自分にしてくれた全《すべ》てのことが、洪水のように彼女の胸を目蒐《めが》けて押し寄せて来た。殊にも昨夜のことであった。そのまま黙って別れてしまったにしても、それまでのことなのだ。それをわざわざ訪ねて来て、身体を大
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