かわせ》とであった。山本は前田鉄工場へ来る前にある大さな鉄管工場に働いていて、その工場に争議があったときその工場を経営している会社の社長の自宅を訪問し、社長にピストルを突きつけ脅迫罪の前科を持っている男だったからである。そして、河瀬は前田鉄工場の今度の争議に際して幾度も工場主前田弥平氏をその自宅に訪問し、そのたびに脅迫的な言葉をもって弥平氏と激論していたからであった。
 しかし、この二人の嫌疑者にも、その証拠となるべき充分な何物もなかった。しばらくして彼らも放免された。
 そして、前田弥平氏殺害事件は忙しい社会から、新しい事件の下積みとなってしだいに忘れられていった。警察のほうでもまた真犯人検挙のために注いでいた全力を中止して、その方針を改めなければならなくなってきていた。

       7

 主人の弥平氏を失った前田家では、その鉄工場を他人の手に渡してしまおうという話が持ち上がった。個人でその工場を経営しているばかりに、しばしばのことその家人までがいやな思いをさせられるからである。そして、その工場を手放すことによってかれらの今後の生活は安全らしく、しかも平和らしい殻の中に閉じ籠《
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