だった。
 吾助爺はこの洪水のような雑踏の中を押し切って、毎朝|神田《かんだ》の青物市場へ野菜物を満載した荷車を曳いていくのだった。

     2

 青バスが爆音を立てながら徐行を始めた。二、三台のタクシーがその後へつかえた。貨物自動車が停《と》まった。吾平爺はその煽《あお》り風を浴びて、自分の重い荷車が押し倒されるような気がした。爺は事実、よろよろとふた足ばかりよろめいた。
「どうしたってんだい!」
 敷石道のほうへ荷車を引き寄せながら爺は怒鳴った。
 貨物自動車や市営バスやタクシーは、二十間(約三六メートル)ほど先の交差点のところからつかえてきていた。そこには、群衆が真っ黒な垣をぎっしりと作っていた。
「何があるってんだい? お祭り騒ぎべえなくさって!」
 爺はもう一度そう怒鳴って、そこに立ち停まった自動車の間を縫ってようやく前のほうへ出ていった。青物市場の出場時刻が切れるので、爺はうっかりしていることができなかった。
「どうしたんだね? 何さまがお通りになるのかね?」
 ようやくその人垣の背後まで辿《たど》り着いたとき、吾平爺はそのいちばん後ろに立っている一人の学生を掴《つか
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