運んでいくわけにもいかなかったので、駐在所巡査と村役場の書記とが立ち会い、墓場の傍《そば》の大きな樫《かし》の木の下の空地で原始的な火葬を行うのが村の習慣であった。
 吾平爺の場合はその日まで一度も医師の診断を受けていなかったのだから、したがってなんらの消毒法をも施されていなかったので、その死体の周りの襤褸いっさいもまたことごとく死体とともに焼き捨てられることになった。
 同時に、吾平爺のその小屋は完全に消毒された。そして、赤い紐《ひも》がその屋敷の周囲に繞《めぐ》らされ、娘の鶴代は絶対に出入りを禁止された。もし、彼女が父親の病菌を持っていると、火葬も消毒も何の意味もなさないことになるからであった。
 吾平爺の死体に点火されたのは、その日の夕方であった。死体の上に藁《わら》と薪《まき》とが積み重ねられ、幾缶かの石油を浴びせてそれにマッチで火を点《つ》けるだけのことであった。駐在所巡査と村役場の書記とは、点火してから三十分ばかりをその火に当たって帰っていった。そのあとに二人の人夫が残って、徹夜してそれについていた。
 しかし、明け方になると、二人はその傍でうとうととまどろんでしまった。

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