者と素人とが銘銘の古巣へ持ち歸つた土産が、銘銘の土地に今迄何處にもなかつた新らしい節を造り出します。それが又來る年の祭までに圓熟して、更に輸入される。それが毎年毎年繰返されるために、相川の節は年年變化して行き、そして粹を拔いたものになるので、從つて相川のおけさは總べてのおけさの花となる譯なのです。
 それに、相川のやうに、藝者にしても、町民にしても、おけさばかりを歌つてゐる處はありますまい。それが殊にほかの土地の人よりも多く歌ふ人達なのですから、おけさそのものに變化が無ければとても續かない譯です。相川のおけさを極く粗い譜に取つたのが、私の手に二百近くあります。これに個人のくせや何かを入れたら殆ど無限の節數になりませう。悲しければおけさ、嬉しければおけさ、何につけても人間の心持に共鳴してくれる節を供へてゐるのです。
 しかし、私は丁度いい時に居たやうな氣がします。相川と言ふ、新潟から艀のやうな船で行つて、島を横切つて、更に峠を越え、トンネルをくぐらなければ行けない、日本海の眞ん中で西比利亞の方に向いてゐる町、まだ不自然な馬鹿げた自殺的な文明の毒のために人の生活が亡びてゐない町、まちがつた
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