追ひ越して行きました。
私達の住まなければならない相川の町は、車がやうやく擦れ違ふことの出來るだけの町幅を持つてゐる眞つ暗な町でした。
私達の宿は五室でして、それに電燈が十燭と十六燭と二つだけ點いてゐました。十燭は東京の二燭よりも暗く十六燭は五燭よりも暗かつたのです。そこにその家の宿主であり私達の世話をしてくれると言ふ老婆がまづい業業しい御馳走をして待つて居てくれました。眼葢の赤く爛れた汚らしいしかも年にも似合はず色氣の殘つてゐるやうな婆さんでした。
電燈は駄駄を捏ねて五十燭を着けて貰ひましたが、その五十燭がまるで十燭にも足りない光力なので、東京で七十燭の下で本を讀んでゐた私にはとても眼が疲れて夜は物が讀めないので氣が滅入つて堪りませんでした。
町の有志の歡迎會と言ふのが土地第一の旗亭壽司嘉でありましたが、薄暗い光の下で斯う言ふ會の行はれるのが不思議な感じがしました。
それから佗しい冬が續いたのです。最早夏は容易に歸つて來ないことになつてしまつたのです。秋をとうとう見ることなしに夏から冬に飛び込まうとは思ひも掛けないことでした。そしてその冬は東京ではまるで想像の付かない佗しい
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