の見えない本當の罹災者の子供ばかりでした。
小學校にまだ這入らないか位の子から三四種の新聞を買つて汽車の中で見ますと、新潟邊は低氣壓で暴れて居ると出てゐました。
寒からうと豫想した輕井澤はスチイムで暑くて困る位でしたが、私のやうに厚着をしてゐる旅客が見えませんので温度を加減さすのも憚られて我慢して通しました。
中央山脈を越すと雨でした。出る時の東京は風と砂埃とで眼も開けられないやうでしたが。
新潟へ近づくにしたがつて降りは益激しくなる、汽車の窓から見える田は一面の湖でした。新潟で船を待つ間に小學校で教はつた先生で今は縣の物産陳列所の長をしてゐる人を訊ねて色色の話を聞いた時、田が湖なのはしよつちゆうの事で、苗下しにも船でやり刈取るのも船で、刈つたあとは信濃川の肥沃な土が次の年の準備をしてくれる儘に放つたらかしである土地だと聞きましたが、見たときはさうとは知らず隨分驚きました。
新潟で汽車から下りようとするとプラツトホウムは全部雨の横しぶきで濡れてゐます。改札口まで横しぶきです。船は勿論出ないと車夫の話でした。
宿へ着いてから三日泊つて船待をして居りましたが、老婆で息子の病氣が
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