すり減らされたぬるぬるの桶で體を洗ふのです。石鹸を生まれてから一度も使つたことのない人も居ます。知人に逢ふと東京ならば流しませうと言ふ處を掻きませうと言ふのです。文字通り爪で脊中の垢を掻き合つて居るのです。桶が今言つた通りなので男でも湯屋に金盥を持つて行く人が相當にあります。寒中でも上り湯がぬるいためか大抵の人は水を浴びてゐます。湯屋によると門口の戸一枚で中じきりの戸を寒中でも付けない家もあります。
 湯に入る前に體をしめす習慣もありません。女湯で歌をうたつてゐるのが聞かれます。
 歌の好きなことは他の町に比類がないかも知れません。年中町の到る處で男女の歌が聞かれます。おけさ、安來節、追分などが重なもので都都逸二上り新内のやうなものは滅多に聞かれません。中山晉平氏、本居長世氏のものも相當歌はれて居ます。女が一日働いて夜更けて友達を訊ねて歌ひ合ふ風もあります。芝居小屋の小さなのがあります。碌な役者は來ませんが浪花節だけは相當のものが來ます。いつも相當の入りを取ります。
 歌と踊の好きな町民が思ふさま歡樂を盡すのはしかし夏を待たなければなりません。
 四月に這入ると雪が雨になります[#「な
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